このフィールドノートは、科学的に厳密なものではなく、かなり主観のはいった読みものです。多少の誇張や脚色はあるものと思ってお読みください。
「戻ってきた」という声と同時に、医師と看護師がバタバタとやりとりしている様子が視界にとびこんできた。フィールドワークをはじめてからもっとも“死”に近づいた2014年の年末と、その原因となったインドネシアでの調査についてノートしてみた(ノート1)。
ニホンザルを研究対象に迎えてから10年がたった(ノート2)。
沖縄に住んでいた私にとって、おとなり台湾への移動は気楽なものだった。当時、内地にでる方が、長い旅に感じられ、多少、こころ気張っての移動に感じた。そして、たくさんの同じように見える画一的な人の波に、すごく酔った。断っておくけれども、私は東京で生まれ東京で育ち、いまは東京で働いている(ただ、外に出ると東京の異様さは、世界のなかでも群を抜いていることに気づく)。対して台湾は、隣の島にふらっと出かける感覚で、言葉は違うけれど、雰囲気もどこか沖縄と似ている、ストレスを感じることがなかった。ここでは、みじかい沖縄生活の間に、繰り返し訪れることになった台湾でのフィールドワークの記憶を振り返る(ノート3)。
サルの研究者、なんとなくマクロ生物学者の間でも一目置かれる存在である。実際のところ、そんな(=特別な)こともないのだけれど(と、いまは思う)。2009年、新米サル研究者としてのキャリアのスタートした年である。